起業家支援やスタートアップ推進という言葉からは、学生に起業を促す取り組みを思い浮かべる方も多いかもしれません。しかし実際には、その本質は単なる起業の後押しではなく、自ら未来を構想し、社会で必要とされる人材を育てる教育にあります。
不安定さが増す時代の中で、どのような学びや経験が求められているのか。本インタビューでは、スタートアップ推進・支援の考え方や人材育成のあり方について豊橋技術科学大学の土谷徹 教授にお伺いしました。

豊橋技術科学大学 特定准教授
土谷徹/ Tohru Tsuchiya
【プロフィール/略歴】
現職:国立大学法人豊橋技術科学大学 スタートアップ推進室 室長/大学発新産業創出プログラムSTART プログラム共同代表者/特定准教授・主任URA
略歴:豊橋技術科学大学大学院を修了後、富士フイルム(株)に入社。約19年間勤務後、愛知教育大学で理科教材の開発に約2年間従事。2011年12月より、豊橋技術科学大学に勤務。2018年よりアントレプレナーシップ教育を担当、現在に至る。
スタートアップ推進・支援は何を目指しているのか
FXインフォメーション合同会社(以下FXI): 先生が現在取り組まれている「スタートアップ推進・支援」とは、具体的にどのような活動で、どんな課題の解決を目指しているのでしょうか。専門知識がない人にも分かるように教えてください。
土谷氏: スタートアップ支援というと、学生を起業させるための支援だと受け取られがちですが、必ずしもそうではありません。
コロナ禍を経て価値観が大きく変わり、世の中は非常に不安定な時代に入ったと感じています。それに伴って、これから社会で必要とされる人材や、人材育成のための教育も大きく変わってきています。
ただ、現状では社会全体も教育機関も十分に対応できているとは言えません。
そうした状況の中で、自ら未来を作り上げ、本当に社会で必要とされる人材を育てることが重要だと考えています。そのために、アントレプレナーシップ教育を重視し、より良い学びや経験につながるプログラムを整えています。
その考え方を説明する際、洗濯機の歴史を例に挙げることがあります。二槽式洗濯機が登場してから、一槽式、全自動、ドラム式へと進化してきましたが、こうした流れは多くの人が思いつく改善や改良の積み重ねとも言えます。
一方で、洗濯板から洗濯機を発想するような思考こそが、アントレプレナーシップ教育で重視したいことです。過去の延長線上で性能や効率を高めるだけでは、やがて限界が来ます。だからこそ、そもそも何を生み出すべきかを考える教育が必要だと考えています。
FXI: 起業家支援と聞くと起業そのものを後押しする取り組みに見えますが、むしろ未来を構想する力や、新しい価値を生み出す発想を育てることに重きがあると感じました。改善や改良ではなく、洗濯板から洗濯機を発想するような飛躍が重要なのですね。
土谷氏: そうですね。既存のものを改良していくことももちろん大切ですが、それだけでは行き詰まることがあります。
過去の経験や延長線上だけで考えるのではなく、これまでにない発想へつなげていくことが、今後の教育ではより重要になると思っています。
FXI: 研究者だけでなく、学生が起業という選択肢を考えるとき、最初にぶつかりやすい壁にはどのようなものがありますか。
土谷氏: 今の時代、起業そのものに大きな壁はないと感じています。
むしろ、壁がないこと自体が問題だと思っています。以前は起業にかなりお金がかかりましたが、今はそれほど資金をかけずに始められる環境があります。
加えて、2022年1月のスタートアップ元年宣言以降、補助金や助成金も増え、起業のハードルはかなり下がっています。
しかし、本当に真面目に取り組もうとする学生にとっては、別の意味で壁があります。
起業して一年、二年で終わってしまう会社ではなく、持続的に経営できる事業を考えるとなると、ビジネスアイデアやビジネスプランを練る過程には多くの苦労があります。
そのプロセスに辛抱強く向き合えるかどうか、そこが大きな分かれ目になります。熱意を持って継続できることが大切です。
FXI: 始めること自体の障壁は下がっている一方で、続けられる事業に育てるための壁は確かに存在するのですね。起業のしやすさと、事業の持続性は別の問題だと理解できました。
土谷氏: その通りです。始めやすいからこそ、より深く考えることが必要になります。
表面的な始めやすさだけで判断せず、持続可能な事業にするための考え方やプロセスを学ぶことが大事だと思います。
大学発スタートアップは社会に何をもたらすのか
FXI: 大学発スタートアップや学生の起業支援が広がることで、地域社会や産業、そして学生自身のキャリアにはどのような変化や可能性が生まれるとお考えですか。
土谷氏: 実は今の状況を、私はあまり良い状態だとは感じていません。
2022年1月にスタートアップ元年が宣言され、多くの国家予算が投じられてきましたが、それから数年が経っても、経済が良くなったと実感している人は少ないのではないでしょうか。私自身もそうした実感はなく、むしろ物価高騰などを含めて厳しい状態が続いているように思います。
確かにベンチャー企業の数は増えました。
しかし、その多くは小規模で、世の中を大きく変えるような取り組みはあまり見えてきません。
数億円規模の売り上げで注目されることはあっても、それだけで社会全体が大きく変わるわけではありません。
企業にいた経験からすると、本当に社会へ影響を与えるには、もっと大きな事業規模が必要だと感じます。
大学発スタートアップについても、可能性がゼロだとは思いませんが、厳しさを感じています。
大学の研究は、事業規模を考えながら進めるものではありません。
だからこそ大学は、無理に大きな事業化だけを目指すのではなく、学生に良い学びと良い経験を提供し、良い人材を社会に送り出すことを重視すべきだと思います。
小規模なビジネスであっても、正しいプロセスや正しい考え方を学べる環境を整えることが重要です。
FXI: 支援の広がりそのものを前向きに捉えるだけではなく、その成果や質まで見なければならないというお考えが伝わってきました。大学の役割を事業化そのものではなく、人材育成の場として捉えている点も印象的です。
土谷氏: 大学が果たすべき役割は、やはり学生に学びと経験を与えることだと思います。その中で、社会に出た後も活きる考え方や姿勢を身につけてもらうことが大切です。
FXI: 起業したい学生が増えている中で、学生のキャリアという観点ではどのように考えていますか。
土谷氏: 起業したい学生が増えているのは確かですが、私は一度は民間企業で働いて欲しいと思っています。
就業経験の中には、日々の業務だけでなく、人脈形成やさまざまな経験が含まれています。そうした経験は、人として成長する上でも非常に重要です。
指示待ち型の日本的経営への批判はよくありますが、それとは別に、企業で働くことで得られる学びは多いです。
そこで築いた人脈や仕事のスキルは、後に起業する場合にも決して無駄にはなりません。年数そのものが重要というより、民間企業で一定の経験を積んでから起業する道も十分に価値があると思います。
良い人に出会い、良い経験を積み、良いキャリアを築いてほしいですね。
FXI: 早く起業することだけが正解ではなく、企業で働くこともまた大きな学びになるのですね。キャリアを一方向で考えるのではなく、経験の積み重ねとして捉える視点が大切だと感じました。
土谷氏: そうですね。起業するにしても、社会人としての基礎や経験があることは大きな強みになります。
焦って結論を出すよりも、良い経験を積み重ねていくことが大事だと思います。
研究成果を社会に届けるために必要な視点
FXI: 企業での研究開発と大学での研究を経験されてきた中で、「研究成果を社会に届ける」ために特に重要だと感じていることは何でしょうか?
土谷氏: これまで企業も大学も、過去のデータや経験に基づいて未来を予測し、開発計画や研究計画を立ててきたのだと思います。
しかし、今はそうした考え方だけでは難しい時代になっています。
価値観が大きく変わり、過去の延長線上では捉えきれない状況が生まれているからです。
企業は長い歴史の中で危機を経験してきました。私がいた富士フイルムもそうで、売り上げが大きく減るような危機的状況を経てきました。そうした中で生き残ってきた企業は、経験則やコストダウン、改善改良だけでは限界があることを知っています。
だからこそ、理想的な未来をまず考え、そこから逆算して何をすべきかを考える、バックキャスティングの発想が重要になります。
富士フイルムがフィルム事業の不振を受けて、これまで経験のない分野にも取り組んだように、常識や既存の概念を一度手放して未来を構想することが必要です。
一方で大学の研究には、今もなお過去の経験や常識の範囲でテーマを考えている部分が多くあります。
研究の性質上やむを得ない面はありますが、社会が大きく変化している今こそ、理想的な未来から逆算して研究や技術開発を考える視点が求められていると思います。
FXI: 過去の延長で考えるのではなく、まず理想の未来を描くことが重要なのですね。研究成果を社会につなげるためには、研究そのものの発想段階から見直す必要があると感じました。
土谷氏: 改善や改良の積み重ねだけでは届かない領域があります。社会が大きく変わる時代だからこそ、未来を起点にして考えることが大切です。
FXI: その視点は、技術開発や商品開発においても同じでしょうか。
土谷氏: 同じだと思います。
例えば電話の歴史を見ると、一般家庭の電話から携帯電話へと移り、その後、日本企業は携帯電話をどんどん改良していきました。
いわゆるガラケーは世界でも非常に高い性能を持っていましたが、その後に登場したスマートフォンは、従来とは全く違う発想から生まれたものです。日本はそこへの対応が難しかった面があります。
つまり、技術だけを見て性能を高め続けても、その先につながらないことがあるということです。
だからこそ、大学だけでなく企業も視野を広げて、何が本当に必要なのかを考えながら開発や商品企画を進める必要があります。
また、研究成果を社会に届ける上では、小さくてもよいので社会実装を経験し、その中で正しく学び、挑戦意欲のある若者を社会に送り出すことが大学の重要な使命だと考えています。
短絡的に物事を捉えるのではなく、深く考えて行動につなげる姿勢が必要です。
その例として、豊橋ののんほいパークの話をすることがあります。
赤字経営だというと、すぐに入場料を上げる、人員を削減する、といった発想になりがちですが、それだけでは本質的な解決にはつながりません。
どうすればもっと愛される場所になるのか、どうすれば市民にとって価値のある存在になるのかを考える方が重要です。赤字という目先の課題だけでなく、広い視野で未来像を描くことで、本当に必要なものが見えてくるのではないかと思います。
FXI: 目の前の課題だけに反応するのではなく、どのような姿が望ましいのかを先に考えることが大事なのですね。研究や技術開発も、社会に必要とされる姿を思い描くところから始めるべきだとよく分かりました。
土谷氏: そうですね。広い視野で未来を考えることが、本当に必要な研究や開発につながっていくのだと思います。
技術や研究に迷う若い世代へのメッセージ
FXI: 技術や研究に興味はあるものの、「自分に向いているのか分からない」と感じている若い世代に向けて、先生からメッセージをいただけますか?
土谷氏: とにかく、いろいろなことを経験するのがよいと思います。
迷うこと自体は悪くありませんが、迷ったまま十分に考えずに結論を出してしまうのはあまり良くないと思います。起業の話とも重なりますが、民間企業での経験を積むことも含めて、社会人として正しく成長していくことが大切です。
今は、嫌いな仕事はやらない、仕事が嫌だから辞める、といった考え方も以前より見聞きするようになりました。
しかし、嫌だと思う仕事でも、やってみると意外な発見があったり、自分のやりたいことの幅を広げたり、成長のきっかけになったりすることがあります。
もちろんハラスメントのようなものは避けるべきですが、それ以外であれば、一度受け入れてみる価値はあると思います。
私自身も嫌な仕事をたくさん経験してきましたが、その経験が今、学生にビジネスを教えるうえで活きています。
ずっと続けたいわけではない仕事でも、その経験自体に価値はあります。加えて、常に学ぶことを意識してほしいと思います。学び続けていく中で、「これだ」と思えるものが必ず出てくるはずです。辛抱強く学び続けてほしいですね。
FXI: 向いているかどうかを最初から決めつけるのではなく、まずは経験してみることが大切なのですね。嫌だと感じることの中にも、自分を広げるきっかけがあるという言葉が印象に残りました。
土谷氏: 経験してみないと見えてこないことは多いですし、学び続けることで見つかるものもあります。
焦らず、受け身にならずに進んでいくことが大事だと思います。
FXI: さまざまな経験や挑戦は、何歳くらいまで続けてよいものなのでしょうか。
土谷氏: 年齢は関係ないと思います。
私自身、30代半ばで一度起業を考えたことがありますし、今もこれから起業しようと考えています。ですから、挑戦すること自体に年齢の制限はないと思います。
ただ一方で、若いうちに社会に出て、理不尽なことも含めていろいろ経験することは、とても大事だと感じています。心理学の観点から見ても、若いうちの経験は人格形成に良い影響を与えるとされています。年齢を重ねるほど、欠点や考え方の癖は変わりにくくなる面もあります。
だからこそ、若いうちに多くの経験を積んでおくことには大きな意味があります。
FXI: 挑戦に年齢制限はない一方で、若いうちの経験には特別な価値があるのですね。いつでも挑戦できるからこそ、若いうちに広く経験しておくことが将来につながると理解できました。
土谷氏: そうですね。挑戦はいつでもできますが、若い時期の経験はその後の土台になります。そこを大切にしてほしいと思います。
FXI: やりたい技術職がある一方で、収入面などを考えると挑戦を迷ってしまう場合は、どのように考えればよいでしょうか。
土谷氏: 給与は時代によって変わる可能性があると思います。
人材不足や社会の変化によって、評価のされ方が変わることもありますし、技術職は今後さらに専門性が高まっていく分野も多いはずです。そう考えると、今見えている条件だけで将来を決めつける必要はないと思います。
私自身、会社員から大学教員になった時に収入はかなり減りましたが、それでも企業に戻りたいとは思っていません。生活が成り立たないほどであれば別ですが、そうでなければ、自分が納得して取り組める仕事を選ぶ価値は十分にあると思います。
また、一つの仕事だけで将来を考えるのではなく、パラレルキャリアのように複数の軸を持つ考え方もあります。
いきなり大きく稼ぐことを目指すのではなく、少しずつ収入源を増やしながら将来設計をしていくこともできます。
収入だけでなく、自分がどんな働き方をしたいのか、どんな人生を送りたいのかも含めて考えることが大切です。
FXI: 収入の多寡だけで判断するのではなく、時代の変化や働き方の組み合わせまで含めて考えることが大切なのですね。仕事を選ぶことと人生設計を考えることは、切り離せないと感じました。
土谷氏: 目先の条件だけでなく、自分にとって納得できる生き方や働き方を考えながら決めていくのがよいと思います。