「比較優位」が教えてくれた“生きる価値”――数学から貿易理論へ,そして資源貿易の最前線へ

「貿易は,得意なものや他の人が苦手としているものを交換すれば,どんな能力の劣った人でも含めてみんなが豊かになれる」――その原点にあるのが,リカードの比較優位です。専修大学(経済学部)の小川健先生(以降,OGAWA氏)は,理学部の数学から経済学へと専門を切り替え,比較優位の“古典的拡張”という未解明のテーマに挑んできました。先生が語る比較優位の核心は,効率性だけではなく「人は本質的に違う。だからこそ,誰にでも社会に貢献できる道がある」という視点です。さらに水産物のような「資源」をめぐる国際貿易では,分野の常識の違いが難しさになる一方,まだ解ける問いが残ることが面白さにもなるといいます。

本インタビューでは,専修大学(経済学部)の小川健先生(OGAWA氏)に,リカードの比較優位の考え方を手がかりに,資源貿易の面白さと難しさ,日本の貿易がこれから向き合う課題について伺います。

目次

数学から貿易理論へ進んだ理由

FXインフォメーション合同会社(以下FXI):国際経済学や貿易理論を専門に選ばれたきっかけは何ですか?

OGAWA氏:貿易理論を専門に選んだきっかけ:大学院進学時にじっくり考えて選ぶつもりだったのが,貿易理論のゼミで院進学の準備期間が始まってしまったから。

 貿易理論を専門にすると「覚悟を決めた」きっかけ:貿易理論の1つ,リカードの比較優位の理論が私にも生きる価値があると教えてくれたから。

 貿易理論を専門に選んだきっかけと専門にすると「覚悟を決めた」きっかけは実は私は違うので,合わせて話をさせて下さい。貿易理論を専門に選んだのは大学の学部4年生の,大学院の修士(博士前期)で数学から(近代)経済学へと専門を切り替えるときですが(私は理学部数学系の学部から大学院で経済系に切り替えたので),あまり積極的な理由ではなく,合格した1つである貿易理論のゼミで院進学の準備期間が始まってしまったから,というのが正直な所です。

私は理学部旧数学科の学部出身なのですが,大学院は出身大学の3つの研究科を受けています。1つがそのまま数学系で大学院に行く選択肢,1つが隣の研究科で「数学基礎論」という,数学系の中でもかなり特殊で数学系の大学院では通常扱わない分野に行く選択肢,そして最後の1つが経済系で貿易理論のゼミに行く選択肢とありました。私は学部の頃に(出身大学には単位・履修の上限キャップが無かったため興味に応じて)他学部聴講がかなり多かった人間で,単位を取ったことのある講義は(出身の理学部を含めて)7つの学部にまたがります(その多くは卒業単位にはならないものでしたが)。その中で経済系も受けていて,たまたま国際経済だけ学部の3-4年次の科目まで受けることが出来た面があり,後に大学院時代の指導教員となる先生のミクロ経済学の講義も受けることができたこともあって,選択肢の1つとして受けておいた面がありました。国際経済は貿易の部分と国際金融・国際マクロ経済学の部分から成り立っていて,貿易の部分はミクロ経済学を基礎として構成されていて,戦略的貿易政策など一部の部分ではゲーム理論なども使います。

当初,そのまま数学系で大学院に行くとした際に,出身大学の持ち上がりの大学院の全ての先生の専門の分野紹介を(研究科のパンフレットで)読んでみたのですが,(当時の学部時代の指導教員の専門分野:リー代数も含めて)どれにもピンとくるものは無く,8-9月に3つの大学院を受けてからどこに進むかじっくり考えて選ぶつもりでいました(一応3つとも受かってはいたので)。当時の持ちあがりの数学系の研究科は(教育改革の最中で)全国的にもかなり変わった方針を持っていて,修士1年と修士2年で指導教員を変えるルールが導入されていた時期で,大学院に入る前に事前準備が言われていた訳ではありませんでした。隣の研究科の「数学基礎論」の先生からは(学部1年の頃から面識のあった先生だったのですが)「多分あなたには合わないと思う」という言葉を貰っていたこともあり,そちらに切り替えることにもためらいがありました。経済系で貿易理論のゼミは最後に受かった所だったのですが,10月には院進学に向けた準備としてミクロ経済学・貿易理論・ゲーム理論などの指定の本を読んで勉強してくるようにという事前準備が始まり,共に同じゼミに進学予定とする仲間との勉強会も始まってしまいました。実際にはその相手は他の大学の大学院に行ってしまうのですが,(当時の学部の指導教員には複数の大学院を悩んでいて,その中にはあまり変更先として多くない経済系もあるという話もしていたのですが)後に大学院の指導教員となる貿易理論のゼミの先生には「どこに進学するか悩んでいて選択肢が3つある」とは伝えていなかったので,或る意味気が付いたら始まっていた,というのが正直な所です。

ただ,経済学の手法としてそのゼミでは私の望んだ「近代経済学の理論」という,数式で社会を説明できる手法を用いて貿易理論を説明・研究するゼミだったこともあり,数式で社会を説明できる点には興味があったのでそこまで深くは考えていなかったという部分がありました。

一方で,貿易理論を専門にすると「覚悟を決めた」きっかけ:貿易理論の1つ,リカードの比較優位の理論が私にも生きる価値があると教えてくれたからです。

私は大学院で貿易理論のゼミを選んだとき,当初望んでいた分野としては(国同士の駆け引きを扱える)ゲーム理論で貿易を説明する戦略的貿易政策の分野でした。実際に戦略的貿易政策の分野を専門としていた先輩もゼミの中にいました。しかし,私に回ってきたテーマは戦略的貿易政策ではありませんでした。当時の指導教員(師匠)はテーマを指示するタイプの先生で,忘れもしません,(当時修士からのテーマの関係で行き詰まりを見せていた状況でしたが)博士後期1年生の8/19に私に回ってきたテーマこそが,もう世間的には終わったと思われていたリカードの比較優位の古典的拡張でした。

リカードの比較優位とは貿易理論の中でも200年以上前から存在する,貿易理論の中でも最古の理論で,デービッド・リカードという人が1817年に「原理」(正確には「経済学と課税の原理」)という本に記した第7章「貿易について」という記載を基に,後世の人間がその要点を抽出した理論で,様々な反論に遭いながらも200年間維持した理論です。その一部は「比較生産費説」として,高校の政治・経済の教科書などにも入る事もあり(学説史的な説明では,リカードの比較優位と「比較生産費説」は微妙に異なる部分があるのですが,学部生向けの概念的な説明ではほぼ同じものとして扱います),国際経済や貿易理論の学部生向けの教科書には第3章までに必ず入ると言っても過言ではない,非常に基本的な理論です。その説明は貿易の利益・恩恵を最も単純な形で説明できるように,基本的な理論は2国2財の世界で,労働1要素だけで生産が出来,働く人数を増やしていけば比例的に生産量が増えていく想定で,国の間の技術が(本質的に)違う想定をします。

その拡張には様々な方向性があるのですが,リカードの比較優位自体は貿易の研究上は現在主流の組み方ではなく,その拡張の方法にも2002(平成14)年から出てきた(積分と確率を利用した)「現代的な」拡張の方法(イートン=コータム・モデルと専門用語では言います)と,1950年代に主に盛んに議論されていた「古典的な」拡張の方法があります。

古典的拡張では元々2国2財1要素の形で説明されてきた在り方の国や財の数を3つ以上に増やす方法に加えて,部品や原材料など「他の国で作るときに使うもの」(中間投入と言います)を貿易する場合や,(例えば羊を育てると「やり方によって比率は違いますが」1つの生産方法で羊毛と羊肉が同時にとれるなど)1つの生産方法で複数の種類の生産が出来る在り方(結合生産と言います)などが入るとどういう風に貿易のパターンが(技術体系から)決まるか,などの部分です(例えば中間投入を入れた貿易に関しては,国際産業連関分析という分野では理論的にはまだ未解明な部分があるまま数値を当てはめて使ってしまっている部分があります)。これは国や財の数を3つ以上に増やす方法について,ロナルド・ジョーンズという人が1961(昭和36)年に重要な法則性(ジョーンズの不等式と言います)を見つけてから,この先の拡張は(このジョーンズの不等式の出し方や産業連関分析などでも使われていたホーキンズ=サイモンの定理という手法が一部使えないことから数学的な意味でも)難しいので(細々と取り組まれてはいましたが)放置されたまま,他の枠組みに流行が移ってしまったから,という面があります。かなり数理経済的な手法が中心となる半世紀以上の未解決問題が私の博士論文のテーマでした(水産物貿易は元々リサーチ・アシスタントとしてお手伝いしていたもので,博士論文はこのリカードの比較優位の古典的拡張に関するテーマで行っています)。

このリカードの比較優位という分野は私を救ってくれた貿易理論の分野なのですが,その理由がこの理論の本質的な特性の1つにある,「誰しも生きて社会に貢献できる方法がある」ことが「宗教では無く,数学の定理として示せる」ことであり,そのための条件は「あなたと私は(本質的に)違う」それだけで構わない,という部分があります(一応言っておくと,こういう説明の仕方はあまり一般的ではありませんが,こういう特性があるということも触れておきます)。このことを知って私は,貿易理論を専門にする覚悟を決めました。

そもそも私は小学校の卒業文集に将来の夢として私の母校となる大学に入学することを書いていた人間で,19歳にして将来の夢を失った状況でした。かつて(今の日本の事実上の首都・東京の礎を築いた)徳川家康は論語の一節を基に「過ぎたるは及ばざるが如し」という趣旨のことを語ったとされますが,私の大学生生活も或る意味長い長い余生のような状況でした。自分自身でも社会的に不適合だと思っていた私は,社会で働く際に拾ってくれる所も無いと思っていましたので,(やりたいことが見つからなければ)大学では学びたいことだけ学んで,(当時はどういう所かも知らなかった)大学院が終わったら人生も終わりかな…という風に学部生の頃は思っていました。

しかし,このリカードの比較優位を学んで,こんな私にも生きて社会に貢献できる方法があるなら,これを教えることを自分の人生でやるべきこととしようと思うようになりました。この「本質的に違う」という所の「本質的に」という部分は正確には数学の,線形代数と言う分野での1次独立(線形独立)という説明を使うのですが,一卵性双生児でさえその後の育ち方などで細かな違いがある中では世の中に全く同じ人などいる筈も無く,99%以上の状況ではこの条件は満たされます(確率論の細かいことを学ぶと,この条件が満たされないことは測度0のため厳密には100%になるのですが,満たされない場合がある中で100%というのは数学用語としては正しくともあまり一般的な言い方ではないので,ここでは99%以上と言っておきます)。この理論に半世紀未解明な部分があることを知り,私にも生きる価値があると思えてようやく専門にする覚悟が固まりました。

ちなみに,私が水産物貿易の理論研究で利用している枠組み(ブランダー=テイラー・モデルと言います)では,このリカードの比較優位と水産経済学などで出て来る枠組み(クラーク・モデルと言います)を組み合わせて作られますが,基本的には貿易理論の中にある枠組みであり,貿易理論では現在だと(多和田・柳瀬(2018)「国際貿易」名古屋大学出版会のような)学部上級位のテキストにも入るようになりましたが,水産経済の中にはこの枠組みを知らない方もいます。

水産×貿易理論:分野の「当たり前」の違いが壁になり可能性にもなる


FXI:水産物など「資源」を国際貿易の視点で研究することには,どんな面白さや難しさがありますか?

OGAWA氏:難しいこと:分野が違うため「この分野にはこれが常識」という点を私1人知らないまま取り組むことになる点です。自分の知らない感覚を指摘されます。

面白さ:国際貿易の視点はまだ資源の分野では利用尽くせていない部分があり,未知の項目の中で私にも解明できる可能性が残っていそうな点です。

水産物貿易は貿易理論と水産経済学という,やや離れた2つの分野を主に利用します。この2つの分野はその出自が大きく異なる部分があり,学部時代は理学部数学系にいて大学院から経済学を専攻した私にとっては全ての分野の基礎知識を学び直す余裕はあまり無かったことから,貿易理論のゼミにいた私は水産経済学の知見が元々そこまで高い訳ではありませんでした。そのため,水産の世界ではこれは常識,という部分が私1人知らないまま取り組む,という部分が少なくありません。

貿易理論が分野の1つとして確立するきっかけになったリカードの比較優位は,経済学の父と言われるアダム・スミスの「国富論(諸国民の富)」という古典的書物にある「分業」という考え方をデービッド・リカードが貿易に当てはめたもの,という系譜的特性があり,経済学の「手法・学派」が今でいう近代経済学とそれ以外の(マルクス経済学などを含めた)社会経済学に分かれる前から分野確立をした側面があります。現在ではミクロ経済学に当たる分野を貿易理論では基礎にします。私は近代経済学という手法で貿易理論という分野を専門にしている立ち位置になります。

一方で水産経済学は近代経済学とそれ以外の社会経済学で系譜的な位置付けが異なる部分があります。数式やグラフ・統計などを駆使して正確に無駄のないことを大事にし,貴賤によって立ち位置を形式的に区別しない近代経済学では,元々個々の経済の積み上げだけでは説明しきれない「合成の誤謬(ごびゅう)」という考え方があり,だからこそジョン・メイナード・ケインズは国全体・世界全体の経済を説明するマクロ経済学をそれまでの「ミクロな」経済学から区別して扱う必要があると説明し,これがマクロ経済学の始まりとされます。ちなみにその後,石油危機を経てマクロ経済学もミクロ経済学的な基礎付けを必要とするという考え方が(主に大学院以上で)浸透するようになりました。このマクロ経済学で特に注目される1つに政府支出の経済全体への影響があり,個々の消費とは異なる「放置しても効率的で無駄のない形にはならない」影響が政府支出にはあるので,公共経済学の分野が作られました。この公共経済学の鍵となる概念の1つに(色々な人に影響が届く)公共財という概念があるのですが,とりわけ環境の分野では温室効果ガスのように(誰かが汚す・排出することで全体に悪い影響が行き渡る)負の公共財という側面が多いことが知られていて,環境経済学という分野が公共経済学から独立するようになりました。この環境経済学の分野から資源経済学が(学問上は)独立するようになり,水産経済学では水産資源を扱うためその資源経済学の一部という位置付けになります。近代経済学という手法が成立するには或る程度一般性を持った説明が必要になるので,色々な分野における近代経済学の手法が導入されるのは後からの部分があります。

実際に貿易理論でも近代経済学の手法が入ってきたのは後からであり,それまでは近代経済学とは違う個別具体的な説明が中心でした。

対して(社会経済学のような)近代経済学とは違う枠組みでは海を含めた水の中は本質的には分からないものという立ち位置を起点にします。そのため,そうした世界を扱う漁業経済学は個々の漁村や個別の魚種など個別具体的な説明を積み上げます。それぞれの漁村やそれぞれの魚種などは違う以上,一くくりに説明することは意義が薄いとされます。この漁業経済学が,養殖などの可能性も鑑みて水産経済学と衣替えをしたのが(非近代経済学系における)水産経済学の立ち位置です。実際に私が2024(令和6)年度から非常勤講師をしている北里大学・海洋生命科学部での「水産経済学」の科目も,漁業経済学からの衣替えでした。

この両者の立ち位置の違いは大きな特性をもたらします。近代経済学系の手法で環境経済学や資源経済学を扱う世界的な研究雑誌の1つにJEEM (Journal of Environmental Economics and Management)という雑誌があるのですが,そこでは「近代経済学的な立ち位置から」の査読者と「環境・資源の専門家としての立ち位置から」の査読者という役割分担がある,とされるように,環境や資源には特有の特性があり,そちらの世界の「常識」と言うものがあります。それは机上の空論に陥らないようにするには大事な点ではありますが,私のように経済でも環境でもない分野で育ち,経済系で大学院にいた人間にとっては「現実とはあまりにもかけ離れている」という説明をしていることに気付かない危険性があります。

また「日本では」としておきますが,水産・漁業経済系の学会の多くが(漁業経済学会をはじめ)非近代経済学系の手法を中心としている人達によって主に構成されているため,水産・漁業経済系の学会で報告すると私1人知らなかった「個別具体的な」常識が余りにも多い事に驚かされます。

そもそも「水産経済」という科目の多くは農学部や水産学部,海洋生命科学部など経済系では無く「水産系」の学部に多く存在し,経済学部にある大学は(下関市立大学の経済学部の「水産経済論」など)極僅かです(私のいる専修大学・経済学部にもありませんし,私が「水産経済学」を非常勤で持っている北里大学の学部は海洋生命科学部です)。そのため,水産経済学は他の経済学が辿ってきた色々な影響とは違う歩みを割としてきた面があります。

https://www.shimonoseki-cu.ac.jp/gakubu/keizai/keizai_gakka (2026-02-13アクセス)

https://www.kitasato-u.ac.jp/mb/faculty/curriculum/3years.html (2026-02-13アクセス)

一方で近代経済学の貿易理論だと(これは近代経済学でも貿易の「実証」だとあまり当て嵌まらないのですが),一般性を持った説明は物凄く大事な価値観の1つとして扱われ,何か特徴的な特性を1つ入れるには何故その特性を入れる必要があるのかという部分をかなり徹底的に説明する必要があります。近代経済学の理論研究では「シンプル」という価値観がかなり大事にされ,同じ内容を説明するにはより少ない特徴から説明できた方が良いからです。例えば,99個の特性から現実の99%を説明するより,2個の特性から現実の80%を説明した方が価値は高いという訳です。(誤解を恐れずに言うなら)マグロの貿易とウナギの貿易は素人目にも,個別具体的なものを中心としてきた水産経済学系の人にも「当然」違うものと扱われますが,近代経済学の理論の側からすると「結果に大きな違いを与える」だけの特性の違いを持って初めて「違うもの」として入れることを許されます。

実際に私も研究に関わった,南山大学・寳多康弘先生らの研究にTakarada et al.(2013, RIE)がありますが,これは「国際的に共有された再生可能資源の入った貿易は,離れた領海・池・沼・湖などを想定した各国保有の再生可能資源の入った貿易(ブランダー=テイラー・モデル)」とは違う結果をもたらす側面があり違う説明が必要である,という特性を基に,国際的に共有された再生可能資源を枠組みに入れているのですが,マグロもウナギも同じ「国際的に共有された再生可能資源」の枠組みで説明します。実際に日本と中国大陸の両方で(稚魚も含めて)採られている「ニホンウナギ」という魚種は同じ産卵地の稚魚である(同じ資源から確保している)ことが知られています。

https://doi.org/10.1111/roie.12089 (2026-02-13アクセス)

このように,貿易理論と水産経済学では分野的にも少し離れている側面がある事から,水産経済学にはまだ知らない個別の特性が数多くあり,非近代経済学系の水産経済学の人たちを納得させられるだけの知見を以て近代経済学系の貿易理論のシンプルで有意義な結果を出す事は難しい部分がある反面,そういう所から近代経済学系の貿易理論には水産経済学でまだ活用しきれていない面があることから,私にも関われる可能性が残っている,という意味で面白いと感じています。

なお,データで説明するには余りにも不適格(広すぎて適したデータが存在しない)で,理論でしか説明できない特性でも,実は貿易理論の枠組みでは説明できるものがあります。私の小川(2023, 大阪大学経済学)を例に出しますが,一般均衡分析という近代経済学系の手法の1つを利用して,特定の条件の下で全ての国が「自国の事を考えて漁獲量を決め,お魚以外も生産する」在り方(均衡と言います)は理論的に有り得ない,ということを(非線形最適化という数学の手法の1つ,クーン=タッカーの定理という定理を利用して)説明しているものですが,これは現在の「そういう」在り方(均衡)があることを念頭に,各国の「譲渡できない漁獲枠」を決めていく在り方には問題がある可能性を示しているものです。

https://doi.org/10.18910/93334 (2026-02-13アクセス)

現在の漁業資源の管理の中で(国内はともかく)国際的には(EUの一部を除いて)「譲渡できない漁獲枠」と言って,一度決めた各国の漁獲量を「余ったからって言って勝手に他国に売ってはいけない」という特性がある漁獲枠が中心とされています。一方で環境経済では高校の政治・経済にも出て来る,温室効果ガスの「排出量取引」のように,余ったら足りない国に売ってということが(パリ協定などの)国際協定上認められていることを思うと,結構不思議に思うかもしれません。実際に「譲渡可能な漁獲枠(ITQ)」というものを認めている国もあるのですが,それはノルウェーやニュージーランドなどの「国内だけ」が中心であり,国を越えてというのはまだまだ一般的ではありません。しかし,譲渡可能な漁獲枠(ITQ)には総枠を維持するための監視が譲渡できない漁獲枠以上に大事な部分があり,世界全体では現実的ではない部分もあります。参考までに,例えばウナギでは数年前からようやく(機能しているかはともかくとして)日中韓台の国際交渉の舞台が整いつつありますが,この地域には少なくとも朝鮮民主主義人民共和国もいることを思うと,完全なる監視や完全にデータ確保というのは東アジアだけでも難しいということが分かるでしょう。こういう部分はデータだけでは解明できない部分ですが「近代経済学の理論で」貿易理論では解明できる可能性があり,この知見を基にすると例えば「自国では獲らずに全量輸入の国」も漁獲枠の削減交渉に参加させるなど,新たな方法が必要になることが分かります。まだまだ貿易理論の知見で水産経済学には活用しきれていない部分はあるわけで,ここには面白さがあると思っています。

変化に適応し飲み込まれない――気候変動が日本の貿易・産業に突きつける現実


FXI:気候変動や資源制約が進む中で,日本の貿易や経済は今後どんな課題に向き合う必要があるとお考えですか?

OGAWA氏:いつまでもその条件で作り,やり取り続けられるとは限らなく,1)変化へ対処していく事,2)不用意に飲み込まれないようにする事が必要です。

環境や資源の話を入れていない経済の基本的なお話では,条件が変わるとは技術革新などで経済が伸びていく場合が中心で,その中で不利になる場合とは「他の伸びが大きいので競争の中で負ける場合」や,せいぜい「人口が減る中での場合」が中心です。例えばAI(人工知能)の活用が物凄く上手くいった所が生産性を伸ばし,他を引き離して伸びていく中で,その企業や国に押されて条件が不利になる場合などが当てはまります。

しかし,地球温暖化や都市圏がクーラーの排ガス等で外気温が更に上がってしまう「都市温暖化」に加え,(日本で言えば)春夏秋冬のゆっくりとした季節の移り変わりが崩れて急に暑くなり急に寒くなる(2025年度の流行語にもなった)「二季化」や台風・豪雨などの頻発といった異常気象などを含めて気候変動の問題と扱われています。経済には気候変動の問題は様々な影響を与えますが,例えば生産の面では前と同じ条件で作り続けられない状況が起き得ます。

前と同じ条件で作り続けられないという意味で最も顕著なのが農業で,気候変動により生産の適する農作物が変わることが知られています。例えば元々北海道は明治の開拓期にはお米の生産には寒冷で適さないと言われていましたが,2023(令和5)年現在では新潟県に次いで第2位になっている一方で,今後の日本のお米生産に関しては「高温障害」などに強い品種でないと多くの地域では育たなくなることが言われています。お米の高温障害は日中で35℃,夜間で30℃を超えると高温障害は現れ出すとされますが,今の真夏では超えない夏の方が珍しいのではないでしょうか。

https://www.library.pref.hokkaido.jp/web/reference/qulnh000000006zl-att/vmlvna0000002967.pdf (2026-02-13アクセス)

https://www.hokkaido-kome.gr.jp/about/komedokoro/ (2026-02-13アクセス)

https://www.kubota.co.jp/kubotatanbo/rice/management/drought.html (2026-02-13アクセス)

2021(令和3)年現在では愛媛県宇和島にて「地中海性気候のシチリア島で,通年温かな土地でのみ育つ」とされるブラッドオレンジの生産へと切り替えた地区があるのですが,この品種は元々国内生産が出来なかった品種です。

https://www.olive-hitomawashi.com/column/2017/12/post-1105.html (2026-02-13アクセス)

この地区はこういうものが見つかって何とかなりそうですが,こういうものが見つかる地区の方が稀で,そうでない場合には,元々作られていたものが作れなくなるまま,対処できずその地区の農業は衰退していくわけです。生産の適したものが変わりゆくということは,生産性が変わり適する貿易のパターン(比較優位)も変わることを意味するので,今までこれが強い(から輸出する)と考えていたものが向かなくなってくることを意味します。そして忘れてはならないのが,地球は緯度が上がるほど面積が狭くなるので,地球温暖化に伴い,同じ作物の適した生産地域は地球全体で見ると減る傾向にあります。

農業以外にも環境問題が貿易に与える影響で日本も注目すべき問題は色々あるのですが,とりわけ重要な1つに自動車輸出の問題があります。日本はこれまで(ハイブリッド車を含めた)ガソリン車を重要な輸出手段の1つとしてきて,日本とEU(欧州連合)とのEPA(経済連携協定)でも日本は「自動車」と言う名のガソリン車の関税引き下げにこだわった部分がありました。しかし,2050年までの気候中立つまり平均気温がこれ以上上がらないように温室効果ガスの排出を吸収量以下にする在り方の世界的目標からすると将来的にガソリン車は販売できなくなります。(近年は一部反動も見られますが)EUでは元々将来的なガソリン車の販売を中止することを決めたことがあり,中国大陸でも将来的には同様の措置を取るとされています。ですが,日本はガソリン車に代わる電気自動車(EV)の普及が遅れている部分があり,現在「電気自動車」において日本は比較優位を持っていない(輸出適性が無い)ため,ガソリン車が廃れ電気自動車が中心の社会になると,将来的に電気自動車で核の技術となる「全固体電池」の開発競争にでも勝たない限り日本は自動車の輸出には適さなくなることが知られています。比較優位の理論は「どんなに技術の劣った国でも」輸出に適したものは何か存在するということまでは分かりますが,その具体的条件はそんなに簡単では無く,日本が「自動車の次に何を輸出すれば良いか」は気候変動が日本の貿易に与える大きな課題と言えるでしょう。

なお,電気自動車以外に「水素燃料自動車」があるじゃないか,と思われた方は,その水素をどうやって運んでくるか,運ぶために加工したエネルギーはどう確保するか考えてみましょう。現在の水素燃料電池は都市ガスなどのガス会社およびその周辺が開発した,天然ガスから水素を取り出して二酸化炭素を排出する「グレー水素」が中心ですので,気候中立の大目標にはなじみません。また,発生する二酸化炭素をドライアイスにして地中に固定するなどの技術(CCS技術とかCCUS技術とか言います)も日本は遅れていて,決して普通に導入できる状況ではありません。

二酸化炭素を出さずに水素を得る「グリーン水素」には基本的に,風力や太陽光,地熱などの再生可能エネルギーで得た電力で水を電気分解して得る必要がありますが,ドイツなどと違って日本では再生可能エネルギーの開発にはそこまで積極的では無かった部分があり,大規模に入れようとする場合でも(決して全てではありませんが)「環境を無視した一部の」土建屋さんに頼んで自然破壊をしてメガソーラーなどを入れるという今問題視されている部分が中心ですし,その太陽光パネルもかなりの部分で中国大陸からの輸入に依存している部分があります。日本はプレートの境界に隣接した火山国家のため地熱のポテンシャルは本来高いものがありますが,本来1番適した国立公園内での開発は困難ですし,近くの温泉業者への配慮に薄い開発では対立を招いていることから,本来大規模化に向けて動く必要がある地熱発電に積極的とも言えません。

そして,水素は相当冷やさないと液体に出来ないことから,体積を縮めての輸送・運搬は困難です。残念ながら日本にそうした施設は(技術的な意味でも)充分でないので,水素の商業利用の際は輸入してくることになります。現在の燃料電池は気体で体積が膨らんでしまった水素を用いる「密度の低い形」でしか利用できないので,本質的に貯蔵に向きません。そうなると「事故無く」極低温で運んでくるというのも相当技術が進まないと無理がある事から,現在では「エネルギーをかけて」水素を(或る程度冷やせば液体にできる)アンモニア(やトルエンなど)の形に「変換して」運んでくる必要があります。そして,水素に戻すにもエネルギーがかかる訳です。もちろんその分だけ費用も上がります。現在は水素に戻さずにアンモニアを直接燃やせないか,という試みもされていますが,二酸化炭素こそ出しませんが(アンモニアは燃え難いため色々な作業をする関係で)窒素を含むアンモニアを燃やす際に操作・反応を誤ると一酸化二窒素(N2O)という,二酸化炭素やメタンガスより遥かに温室効果の強いガスを出しかねません。これでは(研究としては大事でも)気候中立の大目標になじみません。

https://www.alterna.co.jp/36087/ (2026-02-13アクセス)

水素燃料電池は必要な技術ですが,そうした費用をかけてでも取り組むべき(どうしても電気化が難しい)箇所に限らざるを得ないのが実情です。

加えてそうした気候変動への対処が困難な1つが天然漁獲の漁業であり,気温・水温・海流が気候変動で変わるのに伴い,獲れる魚種が獲れなくなったり,旧来には無い魚種が来てその地区では扱い方が分からなくなったりすることも増えて来ました。定置網漁業では獲れる魚種を人工的に設定することは困難ですし,日本周辺には元々何十種類もの魚種が地区別にあっただけにそれぞれの漁港では元々扱われていなかった魚種が来ても「本当に適切な扱い方」は知らない訳です。日本の水産・漁業経済や各種水産学の知見は(例えば「日本水産学会誌」の投稿規定に論文の章立てとして「材料と方法」という項目があるように)魚種別そして「特定の地域」を想定した記載が多く,そのお魚が「慣れていない」他の地域でたくさん獲れたとしてもすぐに扱える訳では無い部分があります。

https://www.miyagi.kopas.co.jp/JSFS/PUBS/KITEI/write.html (2026-02-13アクセス)

実際にその魚種の「他の地区での知見」がそのままその地区に持ってきて使える訳ではありませんが,一般性を持った知見に必ずしもなっている訳では無い部分もあることから,気候変動で獲れる魚種が変わればその新しい地域に合わせた扱い方をまた試行錯誤する必要があり,いつまでもその条件で作り,やり取り続けられるとは限らないことを踏まえる必要があります。

ここまで深刻ではない例としても,気候変動で夏に酷暑日が増えれば,室内でも冷房の使用頻度・設定は強めになり更なる都市温暖化を招きますし,屋外では冷風機能付きの衣服が必須になってくる面も出て来るでしょう。それは生産性にも悪影響が出ますし,我々の満足度(効用)にも悪影響がある訳です。念のため触れておくと,団扇・扇子や扇風機が涼しく感じるのは外気温が体温より低いときだけで,体温より暑い状況が続く場合には衣類も(日本の夏の衣服のような開放的な衣服では無く)涼しい(体温により近い)空気をため込んでおけるような衣服,日本で言えば真冬のようなもこもこした衣服が必要になる,ということは触れておく必要があります。

なお,この環境や資源を無視して経済を発展させ続ける事には無理があるという考え方は1972(昭和47)年には既に一般的な枠組みでローマクラブの「成長の限界」と言う指摘の中にて示されています。

環境以外に資源という部分でも触れておく必要があります。資源には石油や石炭・天然ガスそして(軽水炉な原子力発電で使う)「ウラン」などが該当する枯渇性資源と,森林や漁業資源,地下水などを初めとする再生可能資源があります。言わずと知れたことですが,日本では石油も天然ガスもウランも,殆どとれません。石炭は(例えば長崎県から世界遺産になった軍艦島・端島の)炭鉱が閉山する位「日本で掘るには生産性が余りに悪い」状況が今の状況であり,枯渇性資源の多くが日本ではほぼ全量輸入である点は触れておく必要があります。ちなみにウランの(経済的に掘れる範囲での)可採採掘年数は数十年とされるので,軽水炉の原子力発電所を再稼働・新設すれば(気候変動等への対策としても電力不足対策としても)大丈夫と思っている人は(仮に放射性廃棄物の処理や処理水を含めた福島原発事故の処理などが出来たとしても)数十年後までに再度危機に陥る,ということはお伝えしておきましょう。

資源問題では特に顕著ですが,「今その場で」数量の限られる「と意識された」ものは無くなる前に「価格が上がる」ことがまず起きます。これは経済安全保障という分野で近年では説明することが増えてきた項目ですが,実際にどこにも無いのでは無く,「安くは出回らなくなり,それを当てにしていた所から影響を受ける」という形になります。大昔には日本も石油危機の際に産業構造の多くが変わったとされますが(参考までに,石油危機の前は当時の新日本製鉄,今の日本製鉄がトヨタ自動車より人気の会社でした:石油危機で鉄を精錬するのに多くのエネルギーが必要な面が痛手となったことは触れておく必要があります),今の日本の電力・ガスを支えている天然ガスも価格高騰の影響は日本に来ますし(2023[令和5]年時点で日本における最も発電量の多い発電方法は天然ガスであり,次が石炭火力です),他にもレアメタル・レアアースなど様々な事案において様々な事情で「仕入れ値が跳ね上がって,世界には存在しているのに確保が困難になる」という事態を招きかねません。日本最東端の南鳥島の海からレアアースは確保すれば良い,と思っているなら,その開発が商業利用可能な位にまで費用下がるのは相当先ですし(この開発プロジェクトは大事ですが),他国に狙われる危険性もあるため防衛の費用もかかるということは伝えておく必要があります。日本に希少な資源の輸入に関する課題はまだまだ避けられないということです。

https://www.eneres.jp/journal/japan_power_generation/ (2026-02-13アクセス)

https://www.j-cast.com/2026/01/15511016.html?p=all (2026-02-13アクセス)

残念ながらそうした資源に関する価格高騰で「諦める」選択に出始めたのが水産物であり,或る意味で言えば森林・木材もです。水産資源や森林・木材は持続的に使えば持続的に使える再生可能資源です。

まず,日本は国土の約2/3が山林でありながら,諸外国から多くの木材を輸入しています。これは日本の今の山林だと間伐を含めた山林の手入れができる人手の確保が難しく,従って日本の山林では費用がどうしても高くついてしまうから,という部分があります。

別に適さないものを無理やり国産化することが必ずしも望ましい事ではありません。例えば日本が旧来は自由貿易協定を結んで来なかったが,USA(アメリカ合衆国)の抜けたTPPであるCPTPPに日本と共に加盟している国の1つにカナダがあります。カナダは国旗に楓(メープル)を入れる位に木を大事にしている国であり,域内の貿易自由化を目指すCPTPPが発行したことで段階的にはカナダからも関税を避けて輸入できるようにはなるので,貿易の自由化に関する各種協定は日本にとって重要な課題なのですが,だからと言ってカナダにのみ依存すれば,カナダで木材価格が上がったときに日本は影響を受けます。

https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_01271/ (2026-02-13アクセス)

ちなみに2026(令和8)年1月現在,日本の主要な貿易相手国で「まともな」自由貿易に関する(EPA:経済連携協定などの)各種協定を結べていないのは,「不平等条約」も同然だった日米貿易協定を第1次トランプ政権で押し付けられながら,更にそれより酷い状況に第2次トランプ政権で強いられている対USAと,食料などをかなり輸入しているブラジルを含みながらそうした協定が結べていない対南米メルコスールなどがあり,これらの国々との貿易における協定は(食料まで資源と言うのであれば)重要な課題と言えるでしょう。

水産物はもっと厄介なことになっていると言っていいでしょう。実は世界的に見れば水産物は(世界的な所得上昇に伴う健康志向などから)高級食材化していて,日本とはかなり大きな違いがあります。世界で海を管理国に事実上分割したEEZ(排他的経済水域)の世界的な導入もあり,日本では漁獲量全体が長期的に減少傾向に(30年以上)ありますが,日本は広いEEZを確保しておきながらその中での漁獲である沖合漁業も漁獲量が長期的には落ち込んでいます。世界では天然漁獲は横ばいで頭打ちになっているのですが,その分水産養殖が盛んで,最早水産養殖が天然漁獲を量では上回っている状況です。日本では水産養殖は(増えてきてはいても)まだ天然漁獲とは桁が(少なくとも量においては)違います。

https://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/r06_h/trend/1/t1_2_1.html (2026-02-13アクセス)

https://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/r06_h/trend/1/t1_4_1.html (2026-02-13アクセス)

日本は平成土地バブルの崩壊以降,失われた10年が失われた20年になり,更には「失われた30年」と言われてきましたが,その間あまり伸びていないのがGDP(国内総生産)であり,所得のもとになる1人あたりGDPであり,そして物価の影響を加味した実質所得です。2022(令和4)年からの急激なインフレになる前の2015(平成27)年位から既に生鮮魚介類などの価格は(食料品全体を上回る速度で)上がり始めていて,2021(令和3)年にはブレア年代(2009年で終わる2000年代)初頭における食料デフレの分の価格低下がほぼ帳消しになりその30年前の価格水準に水産物などは既に戻っていました。

実質所得は長期的には下がり続けたその段階で2022(令和4)年からの食糧・食料価格高騰が直撃したこともあり,水産物に起きたこととして「買い負け」があります。世界的には所得が上がり続けていて,高級食材化した水産物を日本の想定する金額では最早買えず,無理に高く買っても儲けにならないからと,買うのを諦めてしまう行為です。実質所得の下がってきた日本では特殊なことでも何でもありません。しかし,平成土地バブルの崩壊以降30年にわたって殆ど所得の上がらなかった日本は他の先進国に比べて物価の安い国と扱われるようになり,輸入しているものの価格の影響を受ける形になっています。日本の周りには(一説には,としておきますが)世界第6位の面積を誇るEEZの大きさがありながら,日本の水産物の生産量は長期的に右肩下がりであり,輸入も高くて買えなくなりつつある,こういう事態は重要な課題として考える必要があります。

1つ,象徴的なことを書きましょう。日本では漁業には昔から大漁旗が使われてきました。(少なくとも今では)ノルウェーやニュージーランドなどでは大漁旗は使いません。これは年間でその人・その船で獲れる量が決まっているからです。これを「個別漁獲枠」と言います。個別漁獲枠がある場合,そこまでしか獲れない反面,そこまでは獲っても良いので,高く売れるときを狙って漁に出る時期が分散します。また,高く売るために「品質」に拘ろうとします。また,この個別漁獲枠はこれらの国だと売れますので,あまり儲からなさそうだなと思えば売ってしまえば良い訳です(ITQと言います)。

この個別漁獲枠の導入には国全体での漁獲可能量(TACと言います)を入れてようやく割り振れるのであり,日本では2018(平成30)年に70年ぶりの漁業法変更でようやくTACは(一部魚種だけでなく)本格導入に踏み切ろうと「総論では」決まりました。しかし,個別漁獲枠の導入には消極的な事例が多く,TACを入れても「機能しない程多い」とか,枠が一杯になると「枠が足りない」などとして(制限の意味を無くす)期中改定を平気で行うのがこれまでの日本の在り方でした。そして,個別漁獲枠を入れずにTACだけ入れる場合,自分たちの獲れる量が保障されないので,自分たちがたくさん獲れるように漁期開始までに過剰な設備投資を各船で行ってしまい,漁期開始と共に急いで獲って(品質重視の観点も取れないので)値崩れを起こす一方で,総枠が一杯になってしまって早めに漁期が終わってしまいます。これを(五輪期間中に表現するのはやや怖いのですが:この原稿は2026年ミラノ冬季五輪中に書いています)我先に争って獲りに行く様を表現して「オリンピック方式」と言います(オリンピックを侮辱しているのではなく,そういう言い方なんです)。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20230207-OYT1T50304/ (2026-02-13アクセス)

https://www.fsight.jp/articles/-/51906 (2026-02-13アクセス)

TACが充分に導入・機能できなければ水産資源は枯渇し,TACだけで入れて個別漁獲枠を導入しなければ水産物の品質向上に目が向かない状況になり,個別漁獲枠を導入してもその枠が売れなければ不適切な利権に繋がりかねません。売れる個別漁獲枠であるITQの導入は日本の重要な課題です。

ちなみに水産物は(魚介類などが特にそうですが)重要なタンパク源であり,旧来は令和4年度の水産白書での記載のように他のたんぱく源である「肉類」とりわけ鶏肉に置き換わったとされていましたが,山下(2024)「新さかなの経済学」日本評論社によると,置き換えた先は「お米など」であろう,という説が出ています。日本ではお米は(周囲の栄養価を削ぎ落した)白米で食べるのが主流であり,たんぱく源よりは炭水化物のため栄養バランスの問題も心配されるところです。

https://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/r04_h/trend/1/t1_1_2.html (2026-02-13アクセス)

安く食料を変えることは食料安全保障の観点では実は重要であり,貿易協定の締結はその意味で(国内ではあまり向かない種類を安く輸入できるので)大事なのですが,日本の食料安全保障の議論ではその部分(安く食料を変えることも食料安全保障の視点)が抜け落ちる,ということは重要な日本の課題と言えるでしょう。

拒絶せずに一旦受け入れる――国際経済を学ぶ若い世代への2つのメッセージ


FXI:国際経済や貿易に関心を持つ学生・若い世代に向けて,今のうちに意識しておくとよいことを教えてください

OGAWA氏:1つは色々な方法や物の見方を拒絶せずに一旦受け入れることです。古過ぎる/新し過ぎる,難しい等拒絶したものの中に解決策があるかもしれません。

もう1つはそこにも担う人がいるということです。あなたが見捨てた・差別した人によってあなたの生活は支えられていたのかもしれないということです。

例えば2016(平成28)年にはUK(英国)がEU(ヨーロッパ連合)離脱を果たし,その年にはUSA(アメリカ合衆国)でトランプ大統領が誕生しました(1期目)。これは世界的な反グローバルの流れに位置づけられるという声もある中で,2017(平成29)年にはフランスの大統領選の決選投票で(フランスは決選投票制です)最も焦点になったのが移民問題・通貨問題を含めたEUへの残留・離脱でした。この当時,それまでの中道左派・中道右派の2大政党の闘いから大きく様変わりし,中道でEU残留を掲げたエマニュエル・マクロンと,右翼でEU離脱を志向していたマリーヌ・ルペンの対決になったのですが,EU残留を掲げたマクロンが勝ったため,フランスはEUに留まっています。

UK(英国)は(アイルランドとの国境を除けば)島国です。フランスは大陸続きです。UK(英国)は入国に際しパスポートコントロールをしています。フランスはシェンゲン協定でEU諸国からの入国については(当時)制限していません。移民の入りやすさとしてフランスの方がUK(英国)より入りやすいことは明らかです。共に移民問題を抱えていたにも関わらず,EUを抜けたのはUK(英国)であり,フランスは(EU離脱を選択できるタイミングがあったにも関わらず)EUに留まりました。これは何故でしょうか?という問題を考えることが出来ます。実はこの事について,UK(英国)に労働者階級があり,フランスは西ヨーロッパきっての農業国であるという特性を使うことで,1960年代には既に開発されていた枠組みを用いて説明することが出来ます。これを「マクドゥーガル=ケンプ・モデル」と言います。

正確にはこの枠組みは国際的な資本移動が元々の想定だったのですが,資本・労働・土地などの生産要素について移動する生産要素と移動しない生産要素があれば基本的には成り立つので,古典的には国際労働移動の枠組みにもそのまま当てはめられ,貿易理論に関する大学院生向けテキストの1つ,Kar-yiu Wong(1995)にも国際労働移動の形で説明があります。その枠組みは微分を使わない数値計算で(1次関数と2元1次連立方程式,三角形と長方形の面積が扱えれば)理解できることが小川(2022,専修経済学論集)によって知られています。移民としての国際労働移動の「あおりを受けた」受入国の(移民代替的な労働をしている)労働者の側が移民受け入れを求めるEUからの離脱を志向したことが説明できます。同じ枠組みで,フランスで盛んな農業では土地がモノを言うので,(19世紀と違って)この時代では国を越えては移動しない土地を持つ地主さんからすると外国人労働者を活用できた方が土地・農地の生産性が上がるため,残留を志向したことが分かります。これは1960年代の古典的な枠組みを使って理解できるのです。

https://doi.org/10.34360/00013033 (2026-02-13アクセス)

さて,「国際資本移動と国際労働移動は違うんだから」この議論は意味がない,という風に切って捨てることは果たして妥当でしょうか。確かに国際資本移動と国際労働移動は違います。しかし,違う事によって「見落とされた部分により結果が大きく変わる」訳でも無ければ,この知見というのは大事なものを含みます。この枠組みは本質的には微分無しで説明できるので,普通に学部生向けの国際経済のテストで計算問題として出せるものです。経済系に来るときに数学は大事ですし,特に微分が使えるかどうかで読めるテキストが変わるのは「近代経済学では」確かですが,実際には微分が使えない状況のまま経済系の学部生を過ごす方も(中堅私立大学の経済学部だと)少なくないのが現状です。本当に何が起きたか,ということを詳細に説明するには相当な知見が必要ですが,そこまでこの時代の欧州の細部まで細かく見ている人は全国の経済学部でも果たして何人いるでしょうか(私の所属する専修大学・経済学部・国際経済学科にはヨーロッパの経済を専門にしている先生方がいるので,そういう先生方でしたら説明できるでしょうが)。もしこの枠組みを使うことが許されれば,割と多くの国際経済系の先生方がこの枠組みは知っていますし,図を使って明快に説明できることから,その有用性は高いものがあります。そしてこの枠組みは1960年代の枠組みです。「そんな古いもの…」と切って捨てると,実は大事な知見が得られなくなる可能性がある訳です。

そしてこの枠組みを利用した説明には次のような後日談があります。この原稿を書いている2026(令和8)年2月時点で,フランスの大統領はマクロン大統領ですが,フランスは(日本でも石破政権下などでの選挙で陥った)3つ以上の勢力がにらみ合って過半数を取れている所が無く,どこかが出した提案を他が結束して否決してしまうと何も決まらなくなる宙吊り議会(ハング・パーラメント)の状況に2024(令和6)年7月から陥っています。フランスではお砂糖の原材料になる作物の1つ・甜菜に関する農薬の中で禁止をしたものがあるのですが,一方でその農薬が禁止されていない国からの甜菜の輸入があるなど,マクロン大統領は農家さんを敵に回した側面がありました。農業では土地がモノを言いますから,その農家さん・地主さんを敵に回したとすればマクロン大統領は窮地に陥る訳です。これもこの枠組みの延長線上で説明できます。

一方で新しい考え方も大事です。よく,移民反対を掲げる政党が(特に右翼的な政党に)いる面がある訳ですが,旧来だったら国際労働移動とは人の移動を伴う部分が中心のため,国際労働移動は対処策を取らないと自動的に移民問題に繋がったわけです(本来,移民の受け入れは大切なことですが,と断っておきます)。一方で,現在だとテレワークがあり,コロナ禍で色々な業種に適用可能になったことが知られています。別に他国で作業してもらっても,法的な条件やデータ移動関係などがクリアできるなら構わない訳です。テレワークが使えるなら,移民問題が深刻な問題になる地区でも国際労働移動の恩恵を受けられるわけです。他方で,日本も含めてコロナ明けにおいて,物凄く拙速にテレワークを解除した業界が「テレワーク可能な業界にも」数多くありました。もちろん,通常はテレワークが出来ないお仕事は(例えば農業は,相当な機械設備を入れないと通常は直接人が土や水に触れる必要があるなど)たくさんあるので,そういうお仕事まで求めている訳ではありません。しかし,テレワークが可能な所までどうしても出勤を求める在り方は果たして望ましいかと言えば,それは違うという面も押さえておく必要があるでしょう。

ちなみに出勤が都度必要とするなら,住めるエリアにも限りはありますが,テレワークならより望ましい所に住むことも可能です。望ましい所,の観点の中には「自分の望む地方行政を行ってくれている」地域に住む部分も含まれます。税金が安い地域,特定の産業への支援が手厚い地域,福祉面で充実している地域など,それぞれの人が望む在り方と言うのは違いますし,そのときの家族構成でも違います。全てが望ましい在り方というのは中々実現しないことを思うと,それぞれの人が「住むところを選ぶ」事によって,それぞれの違う思いを実現することが出来ます。これをTiebout(1956)の「足による投票」と言うのですが,テレワークでその知見の重要性が高まったとする指摘があります。「足による投票」は1956(昭和31)年の知見ですが,このように近年でも学ぶ意味はある過去の知見はあるのです。

https://www.yafo.or.jp/2021/10/29/15206/ (2026-02-13アクセス)

また,座学で学ぶ貿易理論はあくまで机の上での理論として学びますが,実際には貿易に携わる人,その貿易するものを作っている人は感情もあり生活もある人間なわけです。

貿易理論への,そして貿易への批判の1つに「ギリギリの状態で作らされることを余儀なくされる労働者」というお話があります。まず,江戸時代のような「職業が生まれによってかなり固定されていて,職業選択の自由が無い」状況ならその説明も成り立ちますが,職業選択の自由がある範囲においては,より望ましいとその人が考えるお仕事を選んでいけばよく,そのための準備が自分にとって割に合うかどうかも含めて決めていけばいいことになります。本当に苦手なことが高収入だからとやるのは,そのうち精神的に壊れてしかねませんが,これなら自分でも準備できるし是非準備しておきたい,というものは積極的に活用できるようにすべきですし,それがお金の問題で出来ないとするなら,そういうことに対処できる(奨学金などの)制度が無いか探すべきです。そうした選択の結果と言う部分は実は国全体としてもあり,国全体として貿易することで不幸になるなら貿易は止めるべきですし,関税などでも使って貿易を止めることは「まともな税関がある限りは」1国の判断でできます。実際には多くの場合で貿易した方が国全体では良くなるとリカードの比較優位など様々な貿易理論での知見で分かったからこそ,自由貿易を原則とし,何を例外とすべきか扱うWTO(世界貿易機関)は1995(平成7)年に作られた訳ですが。

それでも確かに搾取される事案は残念ながらあります。だからこそ,貿易の世界には,充分に労働者に報いるために「敢えて高品質を求めないのに,労働者に充分なお給料が行き渡るように敢えて高価格で取引する」フェアトレードと言う在り方があります。フェアトレードは「中抜き」されると意味が無いので,中抜きなどされていないと信頼できる第3者が認める「認証」が存在します。理論というより活動と言った方が良いでしょうかね。

よく貿易論の講義で最後にフェアトレードの話をすると,「そんなお金今ないし,庶民には関係ない」という意見を聞くのですが,社会人になると学生とは違い,学業優先ではなくフルタイムで働くことも増えて来ますし,手持ちのお金も変わってきます。学生時代にはお金が余りないことを基本に行動することが多い人でも,社会人になったら今の金銭感覚とは違う在り方が見えて来る可能性もあるわけです。そういうことが来る前に切って捨ててしまうのはどうかと思います。知っておくのも大事なわけです。

そして,そういうフェアトレードで救う相手と言うのも,また現地ではあなたたち以上に庶民である,と言う事もできます。私も格安のものは手を出す事もありますが,安いものには安いなりの訳がある場合が少なくありません。それが優れた技術による低費用なら良いのですが,労働者酷使の場合もあります。漁業の世界ではどの国の海でもない公海上の漁業などを中心に,いまだに奴隷のような労働扱いをする事例が残っています。そういう獲り方をして,水産資源を(規制の網をすり抜ける形で)食いつぶして絶滅に追い込んでしまっている部分があり,これは買っている側も手を貸しているともいえるでしょう。水産にも資源保護に配慮した獲り方を持続させるために,敢えて高価格で買う「水産エコラベル」という認証があります。今はお金が無くて選ばないかもしれないけれども,将来金銭感覚が少し変わったら知っておいた方がいいかもしれないということもある,ということを知っておいてほしいと思います。その方が巡り巡ってみんなで人間的な生活をできるかもしれない訳です。

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