働き方の多様化が進む中で、社会保障は「正社員を前提にした仕組み」だけでは捉えきれない局面に入っています。非正規雇用の増加、少子高齢化、物価上昇といった環境変化が重なることで、現役世代の負担感と将来不安は同時に強まっています。
一方で、企業を通じた支援と国の支援は対立するものではなく、役割の違いを理解しながら組み合わせる視点が求められます。本インタビューでは、働き方の変化と社会保障の見直し、企業負担の限界、将来不安への向き合い方について東京経済大学の石田成則教授にお伺いしました。

東京経済大学 経営学部 教授
石田成則 /Shigenori Ishida
【プロフィール/略歴】
東京経済大学経営学部教授。
1991年慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了、その後1991年から2015年まで山口大学経済学部に勤務。
2015年に関西大学政策創造学部、2025年に東京経済大学経営学部に移籍し現在に至る。社会保障論、社会保険論、保険論担当。2009年商学博士(早稲田大学)
【著書】『老後所得保障の経済分析』(東洋経済新報社)、『人生100年時代の生活保障論』(税務経理協会)、共編著『社会保障論』(ミネルヴァ書房)などがある。
非正規増加で広がる老後不安と、制度見直しの方向性
FXインフォメーション合同会社(以下FXI):働き方が多様化する中で、正社員以外の人も安心して働き続けるために、社会保障はどんな点を見直す必要があるとお考えですか。
石田氏:我が国の社会保障を考えるうえでは、生活や労働を取り巻く環境変化が非常に重要です。21世紀に入って長引くデフレ経済や少子高齢化の影響で、新卒採用を抑えつつ正社員数を減らし、繁忙期にはパート・アルバイト・契約社員を活用する流れが進みました。結果として、ほぼすべての世代で非正規雇用の割合が高まりました。
この変化は年金制度にも影響しています。雇われて働く人の厚生年金ではなく、国民年金に非正規雇用の加入が増えたことが大きいです。国民年金の給付水準は一人当たりおよそ63,000円〜64,000円で、これだけでは老後の暮らしを十分に支えるのは難しい状況です。
さらに世帯収入の二極化も進み、日本では高所得層の拡大というより中間層の貧困化が特徴になっています。
国民負担率の上昇で、若い世代や中高年世帯の可処分所得が減り、将来への備えに回す余力が削られています。加えて、今後はマクロ経済スライドで給付額が調整される方向にあるため、自助努力で補う必要が高まりますが、その体力が弱っていることが生活不安につながっています。
FXI:働き方の多様化がそのまま年金格差につながり、特に非正規で働く人ほど老後の備えが難しくなりやすい、ということですね。現役世代の可処分所得が細る中で、自助努力だけを求めるのは厳しい現実があると理解しました。
石田氏:そうですね。だからこそ、非正規雇用の人を厚生年金に取り込んでいく改革が進められています。
以前は週30時間以上が中心でしたが、現在は週20時間以上、さらに月収8.8万円以上といった基準で適用拡大が進んでいます。短時間・低賃金で働く人が国民年金だけにとどまらないようにすることで、老後の給付水準の底上げを図る方向です。
FXI:なるほど、制度の対象を広げることで老後の給付を底上げしていくということですね。企業側にこれ以上の負担を求めることには、どんな限界や課題がありますか?
石田氏:厚生年金には労使折半原則があり、働く側の負担が増えると事業主側の負担も同額で増えます。企業にとっては、これまで年金保険料負担のない非正規雇用は相対的に低コストの労働力として扱われやすく、そのことが非正規増加の背景にもありました。
一方で、非正規のまま国民年金中心だと老後困窮リスクが高まるため、適用拡大は必要です。
ただ、適用が広がるほど企業負担は増えるので、行政と産業界の合意形成が欠かせません。特に中小企業には負担が重く、段階的に理解を得ながら進めることが重要です。
FXI:必要な改革でも、企業の支払い能力を無視すると制度運用そのものが難しくなる、ということですね。特に中小企業では急な拡大が難しい点が大きな課題だと分かりました。
石田氏:そうですね。従業員規模の要件を引き下げ、小さな事業所でも加入できる方向は進んでいますが、実効性を高めるには段階的な適用と現場の納得を丁寧に積み重ねることが必要です。
会社の支援は現場で機能し、国の支援を補完しやすい
FXI:会社を通じて受けられる支援と、国や自治体が担う支援には、どのような役割の違いがあるのでしょうか?
石田氏:会社が従業員の健康や資産形成を支える仕組みは福利厚生制度で、企業福祉とも呼ばれます。
これは国の社会保障を補う重要な役割を持ちます。老後保障でいえば、厚生年金に加えて企業年金や退職一時金を組み合わせることで、資金を厚くできます。
医療保険でも違いがあります。海外では行政が保険者機能を担う国もありますが、日本では大企業の健康保険組合が保険者の役割を担い、中小企業は協会けんぽの枠組みで運営しています。
会社側で保険料収入と医療給付支出を管理するため、財政を健全にするには支出抑制、つまり予防医療や健康増進に取り組む動機が生まれます。
FXI:会社の制度は、従業員を支えるだけでなく、医療費の抑制や生産性向上を通じて会社の利益にもつながるということですね。国の一律施策とは違い、現場に近いところで動かせる強みがあると理解しました。
石田氏:そうですね。健康投資によって従業員の健康状態が改善し、いきいき働けることに加えて、労働生産性の向上を通じて会社側にもメリットが生まれます。
現場に近く、経済的な動機を持つ主体に役割を持たせることで、より効果が出やすい面があります。
社会保障は「負担」より「将来リスクへの共同備え」で捉えやすい
FXI:若いうちは実感しにくい社会保障の負担について、将来の自分の生活と結びつけて考えるには、どんな視点を持つとよいでしょうか?
石田氏:個人の視点と、国・行政の視点の二つがあります。個人の側では、社会保障を自分ごととして捉えるのは簡単ではありません。所得移転の仕組みなので、どうしても「払っている感覚」が先に立ちやすいからです。加えて制度改正が段階的に重なり、内容が分かりにくいという事情もあります。
そこで、自分の生活上のリスクとして捉え直すことが大切です。社会保障には、税で賄う生活保護や社会福祉、保険料で賄う社会保険があり、年金・医療・介護・雇用は将来リスクへの備えとして機能します。社会保険は一人で抱えるのではなく、国民全体で備える仕組みです。
さらに、民間保険と比べたときの特徴もあります。
厚生年金は労使折半で保険料負担が半分になる構造があり、保障が一生涯続く仕組みもあります。
こうした点を知ると、社会保障をより身近に感じやすくなります。
FXI:負担として見るだけでなく、病気、介護、失業、老後といった将来リスクへの備えとして見直すことが重要だということですね。制度の「使い道」と「受けられる保障」を具体的に把握すると、実感しやすくなると分かりました。
石田氏:実際に将来どの程度の費用がかかるかを試算してみることが有効です。
社会保険で賄える部分と民間保険で補う部分を整理するだけでも不安は和らぎます。
インターネットや携帯アプリ、そして関連する情報提供機関のHPも活用しながら、少しでも数字で把握することが大切です。
また、国の側では「見える化」を進める必要があります。いくら払い、いくら受け取れるかを一元的に分かる仕組みが整えば、行動変容も起こしやすくなります。情報セキュリティへの配慮を前提に、正確な情報提供を進めることが重要です。
制度が大きく変わらない場合は、公的給付縮小を前提に早めの準備が必要
FXI:今の社会保障制度が大きく変わらないまま続いた場合、私たちの働き方や老後の生活で、特に影響が出やすい点はどこだとお考えですか?
石田氏:老後所得保障では、公的年金が中核であること自体は変わりません。
ただ、長寿化と現役人口の減少の中で、社会的所得移転としての年金を維持するには、若い世代の合意を得る必要があります。そのため、マクロ経済スライドにより給付調整が進む構造になっています。
この流れの中で、公的年金だけで万全という考え方から、公的制度と民間の制度を組み合わせて備える方向へ政策は移っています。
NISAやiDeCoの普及はその一環です。今後は若いうちから少しずつ準備する必要性が高まります。
FXI:公的制度を前提にしつつ、家計の余力に応じて民間の手段も組み合わせる考え方が必要、ということですね。
石田氏:社会保障の仕組みを知ることで安心感は得られますが、同時に家計管理を続けることも重要です。家計簿アプリの活用や、必要に応じた専門家への相談も選択肢になります。
また、何かあったときに助けを得られる窓口や相談機能が社会として整うことも大切です。自助努力だけに偏らず、制度理解、情報収集、必要時の相談を組み合わせることが、不確実な時代を生き抜く実践的な備えになります。