物価が上がり、賃金も上がっているように見える一方で、「生活が楽になった実感はない」と感じる場面は少なくありません。こうした“実感のズレ”を考えるうえで鍵になるのが、物価の影響を差し引いた「実質」の視点です。
また、景気を語るときに株価だけを見てしまうと、実態を見誤る可能性もあります。本インタビューでは、日本経済を読み解くための指標の捉え方や、若い世代がお金と経済に向き合うヒントについて大東文化大学の郡司大志 教授にお伺いしました。

大東文化大学 経済学部 教授
郡司 大志 / Hiroshi Gunji
【プロフィール/略歴】
1997年、法政大学経済学部卒。
2000年、同大学大学院社会科学研究科経済学専攻修士課程修了。
2003年、同専攻博士後期課程単位取得退学。
2007年、博士(経済学、法政大学)取得。
日本学術振興会特別研究員(PD)、東京国際大学経済学部客員講師(一号)などを経て、現在、大東文化大学経済学部教授。著書に、『金融政策の効果測定:銀行理論と因果推論による再検証』(慶應義塾大学出版会、2025年)などがある。
見えにくい課題は「実質賃金」に表れる
FXインフォメーション合同会社(以下FXI):いまの日本経済で「表には見えにくいけれど、実は大きな影響を持っている問題」は何だとお考えですか。
郡司氏:まず、賃金の上昇の程度は身近にあるんですけれども、実は大きな影響のある問題だと思っています。
私たちの給料はそれほど頻繁には変わらないですよね。定期昇給があるとか、ボーナスで調整されるとかはありますが、それほど頻繁にはない。一方で、給料からどれくらいのものを買えるのかという購買力は、毎日変化しています。
ものの値段は毎日変化していて、スーパーの値段が微妙に変わったり、特売をしていたりすることで、買えるものの量が変わるからです。こうした変化を見ることのできる指標が実質賃金です。
実質賃金は、我々が得ている賃金の平均的な値から物価の影響を差し引いた指標になっています。実質賃金は期間によって変動があるのですが、1990年代後半以降、傾向的にはマイナスをたどっています。
つまり、賃金が仮に上昇していたとしても、物価の上昇分の方が勝っていて、結果的には買えるものの量は減っているということです。特にこの傾向が強まっているのがここ1、2年です。物価はどんどん上がっている一方で賃金も上がっているので、なんだか良さそうな気になってしまいますが、賃金の上昇の程度はインフレ率に追いついていません。
だから買えるものの量は減っている。こうした問題は、我々の幸福度を下げる大きな要因になり得ると考えています。
FXI:賃金そのものが頻繁に変わらなくても、日々の値段の変化で「買える量」が変わる、という見方は実感に近いですね。物価と賃金を同じ土俵で見る必要があると感じました。
郡司氏:購買力の変化は気づきにくいんですけれども、実質賃金のような指標を見ると、何が起きているのかが見えやすくなると思います。
FXI:そのような問題は、私たちの日常生活にどのような形で影響していくのか教えていただけますでしょうか?
郡司氏:賃金が上がっている以上に物価が上昇している、あるいは賃金が止まっている状態で物価が上がってしまうと、我々が買えるものの量が変わってきます。給料が変わってないのにもかかわらず買えるものが減ってくるわけですから、節約をしなければならなくなる。今まで買えていたものが買えなくなって、食べるものの量を減らしてしまうとか、コンサートに行く回数を減らしてしまうとか、そういうことにもなり得ます。
つまり、幸福度を下げるような要因になるというわけです。物価が変わるというのは、我々の幸福と非常に関係していると考えられます。
FXI:支出を減らす必要が出てきたり、楽しみに回せるお金が減ったりと、生活の中で具体的な形になって表れるのですね。
郡司氏:そうですね。買えるものの量が変わること自体が、生活の選択肢に影響していくと思います。
FXI:逆に、すでに影響が出始めている具体例などってあるんでしょうか?
郡司氏:買えるものの量はすぐに影響が出始めています。消費の面で言うと、マクロの数字で見るところの「消費しているものの量」は、平均的にはかなり減ってきていて、ここ十年でもだいぶ減ってきています。
そういった「買えるものの量が減ってきてる」という点では、もうすでに影響が出始めています。それだけではなくて、給料が下がっているので我々がつらいという面ももちろんあるかもしれません。実質賃金という指標を見てみても、我々にとってつらいことが起こってきてるかもしれません。
例えば、貯蓄をする場合に貯蓄する量が減ってしまうということにもなりますので、そういった面でも影響が出ていると思われます。
FXI:消費の量や貯蓄に影響が出てくるというのは、じわじわではなく、すでに動きとして現れているということですね。
郡司氏:はい。買えるものの量が変わっているという点は、早い段階から影響が表れやすいと思います。
株価だけでは測れない「景気の実感」のズレ
FXI:先生が研究されている銀行や企業の動きを通して見ると、景気が良い・悪いと感じる実感と、数字で見る経済との間にはどんなズレがあると感じますか。
郡司氏:多くの人にとって数字を見ることの最も多い経済指標は、株価指標なのではないかと思います。日経平均株価や東証株価指数などが代表的です。
株価指数が最高値を更新していると、実感として景気が良いように思えてしまうかもしれません。
ただ、株価指数の変動は注意が必要です。とりわけ日経平均株価は、株式市場を代表する225銘柄のみを選んだ平均の指標なので、大企業の業績に大きく引きずられる傾向があります。
東証株価指数も東証に上場する銘柄を加重平均していますが、中小企業の業績を反映するわけでは必ずしもありません。中小企業で働く人の割合は全体の七割近くにも上りますので、多くの人は自分とは関係ない企業の株価を気にしている、ということになってしまいます。
そこで景気の良し悪しを図る指標として、日銀の短観にある業況判断DIがあります。これは「景気が良い」とする割合から「景気が悪い」とする割合を引いた値で、この指標が高いほど景気が良いとみなせます。長期的に見ると、ほとんどの期間について大企業が平均より高く、中小企業が平均より低い傾向があります。
つまり、大企業ほど景気が良いとする企業が多く、中小企業ほど景気が悪いとする企業が多い。
まとめると、株価指数で一見景気が良いと感じることがあるかもしれませんが、多くの人々が勤務する中小企業では必ずしも景気が良くなってるわけではないので注意が必要だということです。
FXI:株価が上がっていると「景気が良い」と感じやすい一方で、働く人の多い中小企業の実感とは一致しないことがある、という点が印象的でした。
郡司氏:株価は見やすい指標ではあるのですが、何を代表しているのかを意識して見る必要があると思います。
FXI:若い世代っていうくくりで見たら、そのズレをどう受け止めるべきか教えていただけますでしょうか?
郡司氏:若い方々にとっても、中小企業で働いている方はやっぱり多いと思います。そうすると業況判断DIのような指数は非常に重要になってくると思います。
一方で、株価指数を見てなんだか景気が良さそうだと思うかもしれませんが、株価指数は貯蓄をしてる人にとっては重要でも、貯蓄があまり多くない人にとってはそれほど重要ではないわけですよね。なので、株価指数に引きずられないようにするというのは一つ重要かもしれません。
FXI:自分の状況によって「見るべき指標が変わる」ということですね。株価に気持ちが引っ張られやすい場面ほど、冷静に見たいです。
郡司氏:何が自分にとって意味のある情報なのかを意識して見るのが大事だと思います。
FXI:景気が本当に良くなったと言える状態というのは、先生の中ではどのような状態だとお考えでしょうか。
郡司氏:一つ言えるのは、先ほどの業況判断DIが中小企業で見ても良くなってる状態は、景気が良くなっていると言えるかもしれません。
それから株価指数にしてもそうですが、金融指標が上向いているというのも一つ言えるのかもしれません。
もう一つ言えるのは、実質賃金が上がってるということです。実質賃金が上がってきていれば、それだけ貯蓄に回すお金も増えるし、消費に回すお金も増えるということになります。
買えるものの量が増えることになりますので、重要な指標だと言えることになります。業況判断DIのようなものを見ることと、実質賃金を見ることが重要になってまいります。
FXI:景気を判断するときに、株価だけではなく、中小企業の業況や実質賃金のような指標も合わせて見る必要があるのですね。
郡司氏:そうですね。どこが良くなっているのか、生活にどうつながるのかという観点で、複数の指標を見比べるのが大切だと思います。
「実質」に注目するとニュースが読みやすくなる
FXI:経済や金融のニュースを読むとき、専門知識がない人でも「ここだけは押さえておくと理解しやすい」というポイントはありますか。
郡司氏:「実質」という言葉のついた指標に注目すると良いと思います。
実質の反対は名目で、我々が普段目にする金額は名目の金額です。一方で実質の値は、物価の変動を差し引いてありますので、実質的にどれだけ豊かになったのかを知ることができます。
例えば名目GDP成長率では、日本全体でどれだけ稼ぐようになったのかを金額単位で計算しますが、実質GDP成長率ではそれをインフレの影響を差し引いて評価します。一見、名目GDPで成長しているように見えても、実質GDPでは大したことがないということはあり得ます。金額単位ではたくさん稼げるようになったように見えても、インフレの影響を差し引くとそうでもない、ということがあり得るわけです。
だから「実質」という言葉のついた指標に注目しておくと、経済のニュースがわかりやすくなると思います。
FXI:「増えた」「伸びた」という数字を見ても、それが物価を差し引いたうえでどうなのかを確認する、ということですね。
郡司氏:名目だけだと見えにくい部分が、実質を見ると見えやすくなると思います。
FXI:経済ニュースを自分事として考えるコツっていうのはあるんでしょうか?
郡司氏:名目GDPや実質GDPは経済を見る指標にはなるんですけども、自分事にはなり得ないかもしれません。
経済全体で見てどうなのかということになるので、実感として湧きにくいと思います。その一方で、業況判断DIになると企業がどう思ってるのかということになりますので、中小企業のDIを見ると、景気が下がってるなということが実感として湧きやすいかもしれません。それから実質賃金なども、実感として湧きやすい指標なのかもしれません。
実質賃金や業況判断DIなどを見ると、我々が実際に直面している経済状況がどうなのかを実感しやすい指標になるのかもしれないですね。
FXI:経済全体の数字だけでなく、生活や働き方とつながりやすい指標を見ることで、距離が縮まる感覚がありそうです。
郡司氏:そうですね。自分の状況に近いところで動いている指標を見ていくと、実感として捉えやすくなると思います。
将来不安に向き合うには指標を学び、熱に乗らない
FXI:将来やお金のことに漠然と不安を感じている若い世代に向けて、経済との向き合い方についてメッセージをいただけますか。
郡司氏:経済の指標に馴染みのない方々にとっては、将来がどうなるのかというのは漠然としかつかみにくいかもしれません。しかし、経済指標を少し勉強するだけで見えてくるものもたくさんあります。
例えば利子率一つとってみても将来の情報をたくさん詰め込んでいますし、株価指数も企業の業績を集約したものになっています。従いまして、経済指標を見ることは将来を知ることの一つの手段になりますので、してみると良いのかもしれません。
ただし、経済指標が将来を完全に反映しているわけではありません。あくまで人々はこうなるだろうと予測しているという、予想の表れだという点には注意が必要です。予想が外れることもあります。結果によっては教科書と違うじゃないかという不満も出てくるかもしれませんが、その点は自己責任になってしまいます。いずれにしても、経済指標を勉強することは自分の経済行動を決める指針にもなりますし、お金を借りる際や運用する際にも役立ちますので、経済指標を勉強してみることを強くお勧めいたします。
FXI:経済指標は「未来を当てる道具」ではなく、「考える材料」として役立つ、という整理が腹落ちしました。不安が漠然としているときほど、見える材料を増やすことが大切なのですね。
郡司氏:過度に信じるのではなく、どういう情報が含まれているのかを理解して活用するのが良いと思います。
FXI:失敗しないために避けた方がいい行動というのは逆にあるんでしょうか?
郡司氏:一つあり得るのは、華やかな経済指標、例えば株価指数のようなものに乗っかって「景気が良い」と思うのは非常に危ないことだと思います。
自分の給料がどうなってるのかを知らずにそれに乗るというのは、かえって貯蓄を減らしてしまうことにもなり得ますし、余計な出費を増やしてしまうことにもなります。自分の給料と物価水準を見比べて、どれくらい実質的な購買力があるのかを知るのは非常に大事です。
インフレ率や実質賃金に注目するのは非常に大事だと思います。その反面で、経済指標に乗っかって、株価指数のようなものばっかり見るのは危ないことだと思います。
FXI:明るい数字に引っ張られて行動してしまう前に、自分の給料と物価の関係を見る、という順番が重要なのですね。
郡司氏:自分の足元の状況を確認しないまま判断すると、生活にとっては逆効果になり得ると思います。
FXI:先生ご自身が、お若い頃に知っておきたかったことっていうのはあるんでしょうか?
郡司氏:気がついた時には経済学を勉強してたんですけれども、若い頃は経済指標自体をあまり気にしなかったというのはあるかもしれないですね。
学生の頃は日経平均株価も下がっていたというのもあって、あまり株式に飛びつかなかったんですけれども、私より前の世代だと奨学金をもらっても株式につぎ込んだと言われる世代もあるので、そういう世代にとっては株価指数は非常に重要だった時代もあると思います。
ただ、私が若い頃にはバブルが崩壊していたので、経済指標はあまり見なかったのかもしれません。
その一方で、大学院ぐらいになると様々な経済指標を見るようになって、実質GDPなんて非常によく見るようになりました。そうすると実質GDPを見て、なんだか景気が良さそうだとか悪そうだとかって見るようになりましたけれども、それでも自分の給料が上がったわけでもなんでもない。自分の経済行動の指針にするということになると、やっぱりインフレ率なんか重要だったのかもしれませんけれども、若い頃はわかってませんでしたね。
FXI:学ぶ中で指標を見るようになっても、それがそのまま生活実感と結びつくわけではないからこそ、インフレ率のような足元に近い指標が大事になる、ということですね。
郡司氏:はい。自分の行動に結びつけるなら、何が生活に影響しているのかという観点で指標を見ていくのが重要だと思います。
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